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終末医療・理想的な最後を過ごすのに必要なこと

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老後の諸問題


朝日新聞WEB版のこんな記事が目にとまりました。


樹木希林さんの理想の亡くなり方を記したものでした。

折り返しの人生を日々過ごす上で、間違いなく訪れる「死」とそろそろ向き合っておかなければと考えて、興味深く読み、その感想など綴ってみました。

記事の内容はだいたい次の様なものでした。

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東京都の下町にある終末期の患者を在宅と病棟の両方で主治医をしていていらっしゃる永寿総合病院の廣橋猛さん(41)は


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「素敵なご臨終」(PHP新書)を出版されて、「後悔しない家族のおくり方」がまとめられてます。

先生は

「樹木希林さんの亡くなり方は理想的だった」と話されてます。

「介護の努力ずっと見てました」その一言が遺族の心を救いますと。

さらに

「皆さんは『理想的な最後を過ごすのに必要なこと』とはなんだと思いますか?」と問いかけています。

人はどのようにして亡くなっていくのでしょうかちょっと考えてみましょう。

「人の終末期」を大きく四つのタイプ

①がん
②心臓や肺の病気の末期
③認知症・老衰
④突然死、です

①のがんでは、
患者さんは、ぎりぎりまで元気で意識もはっきりしていることが多いです。

②の心臓や肺の患者は、
何度か、ガクッと機能が低下を繰り返して悪化していくそうです。

③の認知症は
心や体がゆっくりと弱っていき、徐々に介護が必要になります。

④の突然死は
昔から言われる「ピンピンコリ」という状態で突然の死です。

心筋梗塞や不整脈、脳血管障害などの原因になります。


そのうち「がん」は

おおよそ亡くなる1、2カ月前に急に状態が悪くなると言われていて、

トイレに自分で行けないほど歩けなくなったり、食事がちゃんととれなくなったりしてきたら、

予後3週間以内の可能性が高くなるそうです。

亡くなる最後の数日前は、

ほとんど寝ているようになりますが、無理に起こそうとせず、そっと見守ってのがいいそうです。

過剰な点滴も患者の体に負担になるだけだからです。

亡くなる数日から数時間前になると、不規則で浅い呼吸になるのでこのような変化を認めたら、

いよいよお別れが迫っていると考えた方がよいでしょう。

また、口をぱくぱくして、あごを使って呼吸するようになりますが、

これは苦しいからではないそうです

樹木希林さんが、がんを公表していましたが、先月亡くなり、多くの関心を集めました。

最後まで仕事に取り組み、家族に見守られて静かに息を引き取ったそうです。

報道などよると、全身がんにおかされて、最後のときをどう過ごすか決めておられたそうですね。

痛みのコントロールなどもうまくできていたのでしょうと語られていました。


適切な緩和ケアができれば、必ず苦しまずに死ぬことができます。

廣橋猛先生が出版された「素敵なご臨終」では、家族ができる緩和ケアについても説明されてます。

患者だけでなく、家族が後悔しないように、ぜひ知っておくべきこととして

家事をさせてあげた方が痛みを忘れて和らぐことがあるそうです。

死に向かって起こる心や体の医学的な変化などがまとめられているそうです。

事前にどのような亡くなり方をしたいか、決めておくことが大切とのこと。


どのような場所で最後を過ごして死んでいきたいか、考え、家族にも話しておくことが大切ですね。

残された遺族は、必ずといってよいほど、本人が満足して最後の時間を過ごせたか、と悩みます。

自責の念にもとらわれがちです。


生前にそうした話をして意思を伝えておけば、家族は「できることはしてあげた」という気持ちになれます。

.家族にとっても大きな意味がありますね。


実際、私自身が体験しました。

生前、「延命治療を受けたくないという意思」をちゃんと受け止めていたなら、病気で重症に成ったときに、治療方針を迷わずに決めることができます

このことがなければ、遺族はずっと悔いていくのです。辛いことです。


生まれたからには、必ず死を迎える

それがどんなふうになって息が止まるのか、病死になるのか、事故死になるのか、災害で死ぬのか、いろいろ想像してみてもこればかりは知る由もない。運命だから。

息が止まる瞬間を考えると、私は怖くなることがある。

だだ、大事なことは、どのようになったとしても、

日常において、死と向き合う「覚悟」をしっかりと自分の中に持つことではないかと思う。

なんとなく、話したり考えたりするのではなく、きちんと、信念として持つこと。

形にしておくことも大事かもしれない。

人は生まれ落ちるときはひとりかもしれないけど、生まれた瞬間からいろんな人の世話を受け周りとかかわって生きている。

何をするにしても、決して一人では生きていないはず。

死ぬときもそう。死んだあとも様々な人の世話なしに自分を始末できない。

誰かの手を借りている。

そこで思うことは

自分の人生の閉じ方というものを「自分の意思」として持っていたい。

そうした「覚悟」をしたうえで、残りの人生を考えるとこれからの生き方も変わってくる気がする。

そして、周りに(子供を含め)きちんと伝えることが大事。

なぜなら死んだら、後始末は結局は周りにお世話になるわけだし、

その人たちに「悔い」を与えてはならないから。

後は感謝のみを残して逝けたらいいな。

私は、主人が突然脳出血で倒れて命をとりとめたものの、一度も家に戻っての生活はなく、

長い闘病のあと容態が悪くなった時、私はなんとか命をつなぎとめたくて、医者にいろいろな処置をしたもらった。

そして、身体中、管だらけになった・・・。

私はその時は命をつなぎとめていることを有難くさえ思い、夢中で看病していたけれど、

ある日医者が言ったことは「今していることが延命治療なんですよ」という言葉。

その時、私は「はッ」とした。そしてはじめて気づいたのだ!

「命をつなぎとめたい」と必死になっていることは「自分のエゴなのではないか!」と。

今、思っても、あんなに辛い思いをさせてまで・・・。

本人の身になって考えていたなら、苦しみから早く解放してあげることがよかったのではないかと・・・。

思い出すたびに後悔の念がわく申し訳なかったと思う・・・・

元気な時、確かに主人は「延命治療はいやだ」と言っていたのを思い出す。

だけどそれが何かの形でしっかりとした「意思表示」であったなら・・・。

いや、それを思い出すべきだった。

私は主人の最期に対して、一番大事な大きな悔いを残した。

・・・・・・・・・・・・

自分の最期の迎え方を真剣に、考えておきたいと思う。

自分のために、そして、子供達や周りの人たちに悔いを残さないようにするためにも。


おわり

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